最大の援助(東日本大震災)

下宮 憲二

こんにちは、広島事務所の下宮憲二です。

 私は、前回のブログをアップした直後に震災のニュースを知りました。遅くなりましたが、この場を借りて、震災に遭われた方々へお悔みを申しあげます。
 現在も、原発事故や余震が続き、予断を許さない状況にあります。家族・友人が無事に暮らす平凡な日々のありがたさを、感じざるを得ません。

 連日、深刻なニュースが続いていますが、日本に住む人々の素晴らしさを改めて実感させられる記事がありました。それは、前日のブログでも触れられていましたが、被災現場で略奪等が起っておらず、物資の配給等に対しても、被災地の方々が、パニックにならず、お互い譲り合うほどの冷静さを持って臨んでいることに、海外から称賛の声が上がっているというものでした。
 阪神大震災の時もそうでしたが、日本で、緊急時に、略奪や異常なパニックが起きたという話は聞いたことがありません。緊急時に乗じて人の物を取ってやろうとか、自分さえよければ他人はどうなってもいいという考えを、日本で生活する多くの人は持っていないと言えると思います。この理由については、宗教観や民族性があげられていますが、いずれにしろ、私は、日本に暮らす人々の素晴らしさを示すものではないかと思います。

 私は、とある経済大国に一人でバックパック旅行に行ったことがあります。その国で感じたのは、他人を思いやる気持ちの欠如した人の多さでした。平常時にも関わらず、列に並ぶという余裕はなく、我先に窓口に殺到し、常に車は割り込みを繰り返し、クラクションを鳴らし続け、譲り合いの心など微塵も感じさせない、そんな状況が、普通でした。その国の歴史、文化、経済力等様々な要因はあるとは思いますが、その国で生活したいと思えるものではありませんでした。
 このため、帰国した際には、この日本と言う国に住む人々のすばらしさを改めて認識させられました。列の最後尾に並ぶことを当然とし、道を譲り合い、落し物を届け出る(私は、2度財布を落として、2度そのまま返ってきた経験があります。拾ってくださった方は、「お互い様だから。」と名乗られもされなかったそうです)。日本で暮らしていれば日常であることが、実は、海外から見れば非常に素晴らしいことだったということに気づいたのです。

 法律は最低限の道徳を定めたものと言われていますが、昨今では、マナーの悪化を条例で規制しようという動きが多くあります。歩行中の喫煙の禁止、ペットのフンの放置禁止などがその例です。
 しかし、今回の震災時において、誰に強制されるわけでもなく、自発的に助け合いの活動が全国各地で行われています。多くの人が、自分に今できる事は何かを考え行動しています。一部で物資の買い占めが行われている等耳にしますが、実際は、自己の被災に備えてではなく、被災地の家族や知人に送るために買われているのではないかと、個人的には思っています。
 事業仕分けで廃止対象とならなかったと思われる作業服を着て、記者会見をしている政治家をよそに、日赤には12日間で約401億円の募金が集まったそうです。また、震災支援のための増税についても、67.5%の人が賛成しているそうです。
 助け合い、譲り合いを法律で規定していなくても、日本で暮らす人々は自然と行動できるということをまざまざと見せつけられた思いです。法律を振りかざしてみたところで、人の気持ちがなす大事には、太刀打ちできないことを感じさせられました。前日ブログの蓮見先生と同じ気持ちです。

 まさに、この人の気持ちこそが、今回の危難を乗り切る“最大の援助”ではないでしょうか。

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