心の鍵を壊されても失くせないもの~ASKA容疑者逮捕 ~

蓮見 和章

こんにちは、代表弁護士の蓮見です。

さて、5月ももう終わりですね。今月はASKA容疑者の逮捕や遠隔操作事件で片山被告が実は真犯人だったなどといろいろなニュースがあって私自身もいろいろと考えさせられた一か月でした。

個人的にはASKA容疑書の逮捕はとてもショッキングなニュースでしたね。私にとっては子供の頃一番最初に買ったCDがチャゲアスで、「SAY YES」がヒットした時にはよく寝る前に弟とハモリながら歌っていたほどのファンでした。そのチャゲアスの多くの名曲のほとんどをASKAが作詞作曲をしていて、独特の歌声もさることながらヒットメーカーとして彼は天才だと思っていましたので本当にショックでした。昨年夏には週刊誌で疑惑が報じられ、捜査機関にマークされていることは彼も分かっていたでしょうが、それでもやめることができなかったというのが、薬物の依存性の恐ろしさだと思います。

一般的に薬物犯罪は再犯率が高いといわれています。なぜでしょうか。もちろん依存性もあると思いますが、本人の罪に対する意識も少なからず関係しているように思います。

私も、刑事弁護をしている中で覚せい剤事犯を数件扱ったことがあり、中には裁判員裁判も経験したこともありますが、経験したいくつかの薬物事件を通じて感じることは、薬物犯罪というのはなかなか被告人にとって罪悪感を生みにくいものだという特徴があるということです。

私は刑事弁護人になった際は、どのような罪を犯したかに関わらず、必ず被告人になぜ自分のした行為が罪として罰せられるように規定されているのかということを自分なりに考えてもらうようにしています。被害者の立場や、社会的危険性をしっかり認識することで、被告人が自分の行動を改める契機になると思うからです。
しかし、薬物事犯の被告人は他の事件に比べて自分のしたことの何が悪いのかが分かりにくいようです。

 確かに薬物事犯の場合は、明確な被害者もおらず、覚せい剤により物事の正悪の区別がつかず大きな犯罪につながる可能性があるとはいっても、飲酒運転の事故のように大きなニュースでも聞かれることはありませんし、実際それほど多いというほどではないようです。

 「誰にも被害を与えていないじゃないか。」

 そんな言葉をよく被告人から聞いていました。
 
 ちなみに覚せい剤の所持や使用が禁止される理由は、「覚せい剤の濫用による保健衛生上の危害を防止するため」(覚せい剤取締法第1条)とされています。「保健衛生上の危害」といってものなかなか難しいかもしれませんが、つまり覚せい剤の濫用によりその使用者の身体や精神をむしばむことでその人が破壊されることを防ぐために、覚せい剤の使用、所持等が禁止されているのです。

 さらに踏み込んで誤解を恐れずに言えば、人には、自分が自分らしく生きる人格権があるが、覚せい剤の使用によりその人格(自分らしさ)すらも破壊してしまう可能性がある。その人格を守るために覚せい剤は禁止しますということなのです。趣旨としては、未成年の飲酒やたばこが禁止されているのと似ています。ただ、覚せい剤を持っているだけでも違法とされているところからすると、酒やたばことは比べ物にならない、依存性も含めそれだけ覚せい剤は恐ろしい薬物だということなのでしょう。
 
 「覚せい剤を使うことは、自分で自分を傷つけ自分らしく生きることを奪うこと。そしてそれは周囲をとても悲しませること。」
 
 ASKA容疑者の話に戻りますが、彼の名曲の一つで私も大好きな曲に「PRIDE」という曲があります。その曲の中でASKA容疑者が「心の鍵を壊されても失くせないもの」「思い上がりと笑われても譲れないもの」としていたプライド、そのプライドはASKA容疑者の人格を形成し自分らしく生きてきた拠りどころだと思いますが、いつの日かそのプライドに代わり「心の鍵を壊されても失くせない薬物」に拠りどころを求めるようになってしまったようですね。

今後彼がどのような人生を歩むのかはわかりませんが、どのような生き方をするにしても、もう一度あの名曲のようにプライドを取り戻し、自分らしく生きることができるように更生してほしいと思います。あの歌詞を作り、あの曲を熱唱していた彼ならばできるはずだと信じています。

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