学生時代のある出来事②~被害者の立場から感じたこと

蓮見 和章

こんにちは、広島事務所の蓮見です。

今回は前回に引き続き、学生時代に私が受けた強盗致傷事件に関して感じたところを書きたいと思います。

刑事事件の被害者を実際経験してみて感じたことは大きく①事件後の被害者の恐怖心の大きさと②被害者の記憶の不正確さの2つです。
まず、①事件後の被害者の恐怖心についてお話します。金属バットで腰や背中を殴られ、財布を奪われた私ですが、少年がバイクで逃走する際にそのバイクの色とナンバープレートを覚えていました。そこで、すぐ最寄りの交番に行き、被害届を提出しました。
それから2週間ほどで少年達は逮捕されましたが、その2週間はほんっっとうに長く感じました。
 被害に遭った場所は毎日の通学路です。また少年達が表れるのではないか。自分が被害届を出したことがばれたら今度こそ頭を金属バットで殴られるかもしれない。「怖い」というよりは、「つまらない偶然で命を落としたくない」という思いでした。そしてその思いから自然と被害場所を遠ざけて歩くようになりました。また、その少年は結果的に少年院送致になったそうですが、私の頭の中では「少年院から出てきたらまた報復行為があるかもしれない。」という思いを常に持っていました。

よく事件の被害者が、事件のトラウマを引きずることがドラマ等でもありますよね。私の場合は、トラウマというほどの恐怖心はありませんでしたし、今は被害場所も何も考えずに通り過ぎていますが、それでも事件後の被害者の恐怖心というものは想像以上のものであると感じまた。

「加害者にはずっと刑務所にいて欲しい」
被害者のその言葉には、単に加害者が憎いだけではなく、社会復帰されたら報復や再び襲われるのが怖いという側面もあるように思います。
次に②被害者の記憶の不正確さについてですが、私自身、少年が逮捕されたということで、警察署にて、顔写真を含む10人位の少年写真から加害少年達を選ぶ作業を求められたことがあります。しかし、その時私には少年達を選別することができませんでした。バイクのナンバープレートは覚えていましたし、事件があったのは早朝ですが、それでも明るさは十分ありました。それでも、どうしても犯人の顔が思い出せないのです。特徴はいくつかありましたが、並べられた顔写真は、どれもいわゆる「不良少年」の写真なので、すべて加害少年達に見えてしまったのです。

 結果的にその時警察は10枚の写真を5枚、4枚、3枚と減らしていき、最後2枚になって「じゃあこの二人で間違いないかな」と言って、なんとなくそんな気になった私は「はい、多分」となり、「犯人はこの二人に間違いありません」という調書が作成されました。

 司法試験に合格した後であれば絶対このような調書は作成させませんが、その時は特に不自然さも感じませんでした、「まあ、警察もいい加減だけどどのみち悪いことしたやつなんだからいいか」という感じでした。
 
 被害者の供述は、その内容の迫真性や、当時の環境等からその信用性を判断しますが、刑事裁判では基本的にわざわざ自分の被害をさらけ出している点で、被害者の供述は信用できるというスタンスをとることが多いです。
 しかし、あくまで私自身の経験で言えば、あれだけの恐怖を経験して、事件から2週間後にも関わらず加害少年の二人とも顔が思い出せないのです。私の記憶力に何らかの障害があれば格別、そうでないのであれば本当に被害者はすべてを正確な記憶のもとで話ができているのかという問題は常に考えなければならないでしょう。また裁判ではこの人に間違いないと断言している被害者も、もしかしたら警察での取調べの段階では記憶はあいまいだったにも関わらず、加害者の写真をみてそれが刷り込まれてしまった可能性もあるわけです。もちろん、すべての被害者証言に信用性がないというつもりはありませんが、被害者を実際に経験した立場としては、そんなにすべて詳細に覚えられるほど冷静でいられることの方がすごいと感じざるを得ません。
 このように当時はただ恐ろしかった被害者経験ですが、最近になって自分の経験を振り返ってみると、この経験が今の弁護士としての仕事に影響を与えている側面は結構あるように感じています。現在少年事件に携わることが多くなっているのも、少年事件の被害者として経験したことを、どこかで非行少年に伝えたいのかもしれませんね。

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