こぼしてはいけないもの~偽ベートーヴェン事件~

下宮 憲二

こんにちは、下宮です。
 ソチ五輪が閉幕し、パラリンピックが開催されていますね。ハンディーキャップのある方とは思えないほどパフォーマンスが繰り広げられています。
その一方で、最近非常に注目されたのが、ハンディーキャップのある方の作曲と思われていたのが、実は別人が作曲していたとして謝罪会見が行われた、Sら河内氏の偽ベートーヴェン事件です。ある番組では、頭痛に苦しみながら自ら頭を殴りつける様子や、「音が天から降りてくる。その音をこぼさないように受け取るのが僕の仕事。」と語る様子が映し出されていました。
被爆2世で若い頃から耳に障害を負いながらも、被爆者・被災者等への思いを込めて作曲活動をしていたと思われていた作曲家が、実は他人に作曲を依頼しており、それを暴露されたと言う、まるでテレビのサスペンスドラマでは殺人事件が起こりそうなシチュエーションとあって、多くの関心を集めています。
 この事件で最初に疑問に思ったのが、誰が作曲したかで音楽の評価が変わるのかということでした。音楽だけを評価すれば、誰が作っていようといい曲はいい曲なのではないかと。
 曲を気に入る経緯について考えると、歌って踊る女子集団の曲なので文句なく好きという場合もあれば、誰の曲か分からないがたまたまラジオで流れていた曲を気に入ったという場合もあると思います。
 前者の場合は、特定の人が歌っている曲だから何も考えることなくいいと言うことになると思いますが、後者の場合は、聞いた人が曲自体を評価したものであって、誰が関与していようが関係ないように思います。
ただ、その後、実はあるアーティストの曲だったとか、曲だけでなく詞も気に入った、そこにはあるメッセージが込められていたとなると、ますます評価が上がっていくのかもしれません。
 パラリンピックでの競技もタイムなどを考えればオリンピックの選手に適わないのかもしれませんが、一枚のスキー板だけで滑っていくそのパフォーマンスに驚かされ、ハンディーキャップを負いながらもそこへたどり着いた選手の素晴らしさに一層感動させられるのではないかと思います。
 同じ「きょうぎ」でも遺産分割協議においては、遺言は、単に財産の分け方を決めた書面かもしれませんが、そこに込められた遺言者の想いに当事者は共感し、納得する場合もあるように思います。
今回の事件においては、曲自体の評価だけでなく、特定の作曲者が特定の思いを込めて作曲した曲であるというところに評価の重点が置かれていたようですので、特定の作曲家の作曲でないことが判明したことから、曲自体の評価までも下がることになったのではないでしょうか。
 やはり天からの音だけでなく人の気持ちをこぼさないように受け取った方がよかったのかもしれませんね。

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