開催地優勝は酷たい(Y県国体総合優勝)
こんにちは、広島事務所の下宮憲二です。
「開催地Y県が国体総合優勝!」と地元の新聞には大きく載っていました。
国民体育大会については、かつて部活動をしているときなどに、先輩が国体の選手に選ばれたと聞くとすごいなぁという程度の認識しかありませんでした。ですので、どこの県が強いとかそういったことを気にしたことはなかったのです。といいますか、都道府県単位で総合順位がついていたことに驚きです。今回、開催地がお隣のY県で、しかも、開催地が優勝するというようなことは、サッカーワールドカップで開催地が優勝した時のような感動があるのではないかと思っていました。
しかし、1964年以降、国体で開催地が優勝しなかったのは2002年開催の高知県くらいで開催地絶対優勝主義ともいうべき不文律があるそうです。まぁ、確かに開催地が地の利を生かして地元の応援も手伝って実力を遺憾なく発揮し、結果につなげるというのは否定できませんが、毎回開催地が優勝というのはやはり不自然なものを感じます。
Y県としては、48年前に開催地優勝を逃していることもあり、何としても実力のある選手を確保し、優勝しようと思ったのでしょう。そこで行われたのが業務委託契約。県外の有力選手を招いて地元勢として出場させ、県内選手の指導も委ねて競技力を底上げするというものです。これに関しては、昨年の9月頃に問題となっていましたが、Y県所属として出場する一部の選手が住民票を移しただけで居住実態がないとして批判されました。住民票を移すだけで所属都道府県が変わるとなると、毎年住民票をかえて出場する選手が出てくることになります。
国民体育大会実施要項の解釈説明によると、所属都道府県となるための条件のひとつとして、「住所を有し、しかも日常生活をしている所を指す。 」とされています。住所とは、民法上「各人の生活の本拠」とされています(民法22条)。生活の本拠かどうかは、本人の意思と生活実態で判断されます。住民票があるからといっても他県で日常生活をしていれば、住所は他県として扱われます。学生時代などは、下宿生活をしているけど住民票を移していないという友人がいましたが、その場合も住所は下宿にあると考えられます。この点に関し日本体育協会は、今年の2月の時点において日常生活の実態がないとしてY県の一部の選手に参加資格違反があったと認定しました。
その後、大会実施要項の解釈説明でも「日常生活」の認定については、 原則として、当該大会開催年4 月30 日以前から大会終了時までの総日数の半数を超えて、住民票記載の住所に存する都道府県において生活している実態があることという基準が明文化されたようです。
これによって、住民票だけの選手はいなくなるでしょうが、今後は、毎年引越しを繰り返す選手が出てくることが予想されます。現に、Y県大会後にY県を離れる選手も出ているようです。
開催地が優勝しなければならないという不文律は、どうして生れたのでしょうか。もちろん、開催地だけに不甲斐ない成績は残せないという思いは理解できますが、面子の問題なのでしょうか、慣例の問題なのでしょうか。開催地優勝の不文律は、開催地にとってあまりに酷なものになっていないでしょうか。そもそも国民体育大会の目的はなんだったのでしょうか。開催地の優勝なのでしょうか。国民一人一人の身体能力向上により国全体としてのレベルアップでしょうか。まだ、実力選手の力を借りての優勝であれば所属の問題ですみますが、某国技のようにやらせがあるというような疑惑がもたれるようになると大問題です。
大会開催の原点に戻ることが、開催地優勝を素直に喜ぶために必要なのかもしれませんね。