運命のいたずら~プロ野球ドラフト会議は違法なのか~
広島事務所の蓮見です。
さて、先週はプロ野球のドラフト会議がありました。巨人原監督の甥にあたる菅野智之投手(東海大学)の問題もあり、普段野球にあまり興味のない方もニュースをご覧になったかと思います。
プロ野球のドラフト会議に関しては、法律上も問題があるのではないかという議論が従来よりありました。ある球界のドンが「ドラフト制度は法律違反だ」と言っているようですが、その意見を「感情論だ」と無視できないところもあります。
今日は、そんなドラフト制度の法的問題点を簡単に説明したいと思います。
ドラフト制度の問題点として、ドラフトは選手の職業選択の自由を不当に制限し、選手獲得市場における買い手の独占を認めるものであり、新人選手と他球団との交渉機会を奪うものであるから独占禁止法に反するのではないかという指摘がなされます。
独占禁止法は、自由で公正な経済社会を実現させるために事業者間の競争を保護促進するため、事業者団体が一定の取引分野における競争を実質的に制限することを禁止しています。プロ野球は社団法人日本プロ野球機構という組織(事業者団体)が営んでいますが、この組織が決めたドラフト制度により各球団(事業者)の新人との交渉権を奪うのは独占禁止法に触れる可能性があります。
しかし、プロ野球界には、一人勝ちの球団が出てきてしまうことで、競った試合が少なくなり、ひいては球界全体の人気が凋落してしまうという他の企業間競争とは異なる特殊事情があります。つまり、プロ野球全体が一つの会社のような損益共同体の組織であって、各球団はその中の部署に過ぎないと考えれば、部署配属の方法に制限を加えるのは選手の職業選択の自由を制限するものではないし、独占禁止法にも反しないと言えるのです。
このような状況をふまえて独占禁止法上の違法を判断するにあたっては、ドラフト制度が、①競争保護よりも優先ないしそれと同等の正当な目的を有するか、②有するとして正当な目的を達成するために相当な方法なのかどうかという2点を考慮することになります。
ドラフト制度の目的は大都市の有名球団に有力新人が集中することを防止しすることで各球団の戦力均衡を図り球界全体の人気を維持することにあり、①正当な目的を有しているとは言えると思います。問題は、②現行のドラフト制度は戦力の均衡という目的を達成するための相当な方法といえるかどうかだと思いますが、この点はなかなか難しい判断になると思います。
種目が違うとは言え、例えばJリーグでは新人選手との交渉は自由で有望選手も好きなチームに行くことは出来ますが、リーグで連覇を達成するチームが中々出てこないことからすれば、各チームの育成や戦術の努力によって戦力の均衡はそこそこ出来ていると言え、プロ野球がドラフトを撤廃しても各チームが同様の努力をすれば戦力の大きな偏りはでないのではないのではないかとも思えます。他方で、やはりドラフト時に評価が高い選手は相対的にそうでない選手より活躍する傾向があるということも否めませんし、FA制度もあるので現行制度でも選手の移籍の自由が一切認められていないわけでもありません。いずれ法廷でドラフトの違法性が争われる時が来るかも知れませんが、その時に裁判所がどのような判断をするのか、興味のあるところです。
ところで私は小さい時からドラフト会議を見るのが大好きでした。「第一回選択希望選手、○○(球団名)、××(選手)、投手(ポジション)、△△高校(所属チーム)」という緊張感のあるパンチョ伊東の声に魅了され、ドラフトで明暗を分ける選手のドラマを子供ながらに楽しみにしていました。
400勝投手金ヤン(ロッテ監督)の黄金の左腕に交渉権を握られてしまった小池秀郎(ロッテ入団を拒否し、その後近鉄に入団)や近鉄佐々木監督に「ヨッシャー」と叫ばれた福留孝介(近鉄入団を拒否し、その後中日に入団。奇遇にも佐々木監督はその後中日のコーチや監督代行をして福留を直接指導した)など、意中の球団に行けなかった選手の表情を見て子供ながらに複雑な気持ちになりました。そして、そのような選手達がもう一度アマで奮起し再びドラフトで指名された時は、運命を受け入れながら腐らず前向きに頑張ることで道は開けることを教えられた気がしました。
また、ドラフト当時阪神ファンだったという松井秀喜を、13年ぶりに監督に就任したミスターが初仕事で引き当て松井もそこに運命を感じ入団を決意したケース(当時、巨人はアマ球界NO1の伊藤智仁を指名することが濃厚とされていたのですが、ミスターがひらめきで松井指名に切り替えたというエピソードもあります。)や、一度は入団を固辞していた松坂大輔が東尾監督にほだされて入団を決意するシーンは、何かを決断した男のすがすがしさを感じたりもしました。
自分もプロ野球選手の中ではベテランと言われる年になり、これまであこがれの球団でプレーすることを夢みて野球に打ち込んできた20才前後の選手にとって、ドラフトで野球人としての運命が変わってしまうということはとても辛いことだろうし、受け入れるのには時間がかかることがあるのもしょうがないだろうと感じるようになりました。ただ、ドラフトの結果という運命を受け入れ前向きにその後の人生を選択したとき(必ずしも指名された球団に入団することではありません。アマでもう一度頑張るのも前向きな選択といえます。)、その選手は必ずファンを惹きつける何かを身につけているような気がします。人生はうまくいかない。でもそれを受け入れる覚悟をもち這い上がっていこうとする選手一人一人のドラマがプロ野球を面白くしている部分もあるのです。その意味では、現行のドラフト制度は、プロ野球人気の一役を担っている部分は間違いなくあると思います。
渦中の菅野投手は、本日大学の試合で周囲の不安を一層する好投で4安打完封勝利をし、「ドラフトは自分個人のことで終わったこと。チームが勝てるように力になりたい。」とコメントしたそうです。どのような決断をするにせよ、菅野投手がドラフトという運命を受け入れたとき、どんな魅力を発する選手になるのか、個人的に楽しみにしたいと思います。