背番号が語るもの~Jリーグの永久欠番

蓮見 和章

 広島事務所の蓮見です。

 先日サッカーの松田直樹さんが亡くなりました。木下弁護士のブログにもありましたが、日本サッカー界の躍進を支えた松田さんの死は本当に残念です。ご冥福をお祈りします。

 私もサッカー観戦が好きだったため、「マイアミの奇跡」のころから松田さんの活躍を見てきました。松田さんは当時まだ19歳でしたが当時の日本選手の中では抜群の身体能力を持っていたという印象があります。メディアでは、その後シドニー五輪や日韓ワールドカップ等で活躍したことが取り上げられますが、私の中では、Jリーグの2004年チャンピオンシップの活躍の印象がとても強いです。

 当時のJリーグは、一年間を前半(1stステージ)と後半(2ndステージ)に分け、それぞれの王者が年末にホームアンドアウエーの年間王者決定戦を行うチャンピオンシップというものが行われていました。この年は、松田さんが所属する1stステージ王者横浜Fマリノスと2ndステージ王者の浦和レッズが対戦することになったのですが、横浜Fマリノスは、久保竜彦、安貞桓、柳想鉄というステージ優勝に導いた攻撃の軸を軒並みケガで欠く一方で、浦和レッズは、2ndステージの15試合で40得点をたたき出した攻撃陣が好調を維持していました。中でもブラジル人のエメルソン選手は、足が速く技術もあるのでJリーグでは「わかっていても止められない」レベルの選手で、各チーム手を焼いていました。そこで当時はどのマスコミも、エメルソン選手を中心としたレッズの若くて速いFW陣をマリノスのDF陣がどう止めるか、という論調でチャンピオンシップの展望を書いていました。観戦するものからすればとても分かりやすい構図のチャンピオンシップだったと思います。

 注目の第1戦、私もスタジアムまで足を運び観戦しました。レッズは圧倒的な攻撃力で点を取り早々に優勝を決めてしまおうと、先発でエメルソン、永井雄一郎、田中達也の3選手をFWで同時に起用しました。対するマリノスは松田さん、中澤佑二選手、河合竜二選手の3バックで挑みました。この対決、結果はマリノスDF陣の完勝、1-0でマリノスの勝利でした。レッズはマリノスDFの攻撃陣の前に決定的なチャンスを全く作ることができず、効果的なシュートもほとんど打てませんでした。エメルソン選手も、レッズに来てから一番輝かなかった試合と言っていいほど、何もさせてもらえませんでした。この第1戦を制したマリノスはそのままチャンピオンシップを制し、MVPは中澤選手が受賞しましたが、松田さんもそれに劣らぬ完璧なディフェンスを披露していました。

 私は、この時、スピードある選手に対してタイミング良くスペースを埋める集中力と一度振り切られてもあきらめずに食らいつく松田さんらの姿勢は、日本人が体力で劣る外国人と戦う上で見本となるものだと感じました。当時マリノスの監督は去年日本をW杯決勝トーナメントに進出させた岡田武史氏ですが、この時の成功体験が去年の日本の戦い方のヒントになったのは間違いないと思います。その意味では、松田選手は「ミスターマリノス」であるだけでなく、文字通り日本サッカーの礎を築いた一人であるといえると思います。

 そんな松田さんのマリノス時代の功績をたたえ、先日マリノス所属の中村俊輔選手が、松田さんがつけていた背番号「3」をマリノスの永久欠番にできないかと提案したという記事がありました。プロ野球ではよくある永久欠番ですが、Jリーグではあまり見ないので規約上どうなっているのか調べてみました。

 Jリーグ規約ユニフォーム要項第3条によれば、背番号50番までの間であれば欠番を認めると規定されています。(ちなみに規約では0番の背番号は認められず、1番は必ずゴールキーパーが付けなければならないとされています。)Jリーグ草創期からJリーグ観戦されている方は御存じかと思いますが、当初Jリーグは背番号を固定せず、その試合に先発出場する選手が1番から11番のユニフォームを着ていました。その後97年から固定制になりましたが、その時はJリーグが、「背番号は連番で、欠番はつくらないように」と通達を出していましたので、永久欠番は認められていませんでした。Jリーグで永久欠番が認められるようになったのは2004年のこと、各クラブからの12番をサポーターの番号として欠番にしたいという要請があったからです。法律や規則は、その時代の現状や要請により変わりうるものですが、まさにJリーグの背番号制も、試行錯誤を繰り返しながら現在の形になっていったと言えると思います。Jリーグも今年で19シーズン目を迎え、それぞれの選手が付ける背番号がその選手の代名詞のようなものになってきていますし、各クラブごとに誰がどの番号を付けるのかよいかがサポーターの間でも議論されるようになってきました。J1ではまだ永久欠番を正式に定めたクラブはありませんが、特定の選手が付けていた番号を永久欠番にしたいという要望は今後増えてくるのではないかと思います。

 ただ、松田さんの背番号「3」の永久欠番化に関してはマリノスサポーターの間でも賛否両論あるみたいです。「マツ(松田さんの愛称)は偉大すぎてその番号は誰も付けられない」「ミスターマリノスの松田を称えるためにも永久欠番にすべき」という賛成論もあれば、「背番号3をグランドで見てマツを思い出すほうがいい」「そもそもマツはマリノスを首になった(昨年マリノスを戦力外通告になっている)人間なのに、今更マリノス側が敬意を表すのは筋違い」という反対意見もあるそうです。

 私はマリノスサポーターではないですし、この件に関して意見をもっているわけではありません。ただ、永久欠番が制度化された2004年度に、奇しくも松田さんの活躍によりマリノスが優勝したことを考えると、永久欠番にするのもありなのかもしれないなと思う一方、生前「マジでサッカー好きなんすよ」と語っていた松田さんは、背番号「3」が常にグランドで躍動していることを望むのかもしれないなとも思ってしまいます。

 いずれにしても、松田さんは多くのサッカー選手から慕われていました。昨日の日韓戦の快勝も、松田さんを慕い魂を受け継いだ選手達がその想いをピッチ上で表現してくれたから導かれたものだと思います。そのような選手達がいる限り、松田さんの雄姿は私達サッカーファンの記憶から消えることはないのかもしれませんね。

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