手ぶらで帰らせるわけにはいかない

蓮見 和章

 こんにちは、広島事務所の蓮見です。

 さて、今年も夏が終わりに近づいてきました。皆さん今年の夏はいかがでしたか?社会人の方には特に夏休みのようなものもなく忙しかったから特に感想もないという方もいらっしゃるかも知れませんし、夏はまだまだこれからだよという方もいらっしゃると思います。その意味では少し気が早いかもしれませんが、私にとって今年の夏を総括すると、やはり「スポーツの夏」でしたね。

 直近一番の感動は、甲子園での奪三振ショーですね。桐光学園の2年生、松井投手が4試合延長もなしに歴代3位の68奪三振。これ、野球先進国日本での高校最高峰の試合での結果であることを考えれば、個人競技だったらオリンピックのメダル並の快挙と言っても過言ではないと思います。

 メダルと言えば、ロンドンオリンピック。史上最多のメダルを獲得した日本選手の活躍もありうれしい寝不足の毎日を過ごされた方もいらっしゃったのではないでしょうか?私も例に漏れず毎日眠い目をこすってテレビ観戦しました。

 皆さんそれぞれ多くのシーンに感動し、それぞれ涙腺がゆるんだお気に入りのシーンがあるかと思うのですが、個人的には特にフェンシング団体準決勝で太田選手が残り1秒で同点に追いついたシーンと競泳男子メドレーリレーの史上初の銀メダルが印象に残りました。卓球団体等でもそうですが、いつもは個人競技でいわばライバル関係にある選手達が、敵としてよく見てきた(研究してきた)からこそ把握しているお互いの特徴をうまく引き出し、補いながら力を発揮する姿がまぶしかったです。

 特に競泳チームの団結力は秀逸でしたね。競泳の松田選手の言葉「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」は今回のオリンピックを象徴する名言と言っていいでしょう。過去の2大会では、個人として圧巻の泳ぎを見せ「超気持ちいい」「何もいえねえ」状態だった北島康介選手をもってしても届かなかったメドレーリレーの銀メダル。もちろん北島選手自身の頑張りもあったと思いますが、何よりそんな北島選手に対する後輩達の想いが力となって、快挙が達成されたのだと思います。そしてそのような後輩達の想いは、これまで北島選手が後輩達に対して愛情や信頼あふれる叱咤激励をしてきたことから生まれたのだと思います。

 スポーツ、特に個人競技においてオリンピックに出場するような選手達は、これまでその競技においては極めて突出した成果を上げてきました。基本的には個人での勝負になりますのでライバルに対する嫉妬や焦りもあるでしょうし、自分に対する大きな自信やプライドといった強烈な個性があるでしょう。しかし、そんな個々がお互いを認め合い、強力な団結力により、単に個々の力を足しただけでは生まれ得ない付加価値を作り出したのです。

 「お互い力が突出しているからこそ、相手を認めることができたのであって、通常社会の人間では無理だよ」という意見もあるかもしれません。確かに、彼らは突出した能力を持っています。しかし、だから団結できたというよりは、その人がもともと周囲への気配りや感謝の気持ちを持っているからこそ、突出した能力を備えられたという方が正しいのだと思います。インタビューの時メダリストが共通して言及するのは、現状の栄光に対する周囲への感謝の気持ちです。そして、日頃からそのような姿勢でいるからこそ、周囲の人間が「この選手にメダルを取らせてあげたい」と思い陰で支えてくれたのではないでしょうか。持って生まれた才能におぼれ、周囲に感謝せず、見下してきた人間は、少なくともオリンピックのメダルにはたどり着くことすらできていないはずです。

 オリンピックを見ていて、ふと弁護士業務のことを考えてしまいました。弁護士業務は、基本的には依頼者に対して一人の弁護士として向き合うことになりますので、スポーツで例えると個人競技に近いものになると思います(少なくともサッカーやバレーのような何人かが集まって初めて成り立つ団体スポーツとは根本的に異なると思います)。それでも、団体として一つの目的に向かって団結することで、お互いの特徴をうまく生かし合えば、弁護士としてさらに力を発揮できると思いますし、結果として依頼者にとってもプラスアルファのサービスを提供できるはずです。

 また、依頼を受けた方との関係で言えば、まさに二人でチームを組んで一つの目的に向かって行くのが弁護士業務です。
「依頼者を(十分なリーガルサービスを提供することなしに)手ぶらで帰らすわけにはいかない。」

 現在の自分の環境・立場をちゃんと把握できているか。ここまで支えてくれた周囲に感謝できているか。プライドや虚栄心が変な邪魔をしていないか。焦りや嫉妬はないか。

 常にそのことを自問自答できる弁護士でいたい。メダリストの姿勢だけでも見習っていきたい。

 そんな思いを抱かせてくれた2012夏でした。

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