似たもの正義(同時多発テロ容疑者殺害事件)
こんにちは、広島事務所の下宮憲二です。
少し前になりますが、同時多発テロの首謀者とされるB容疑者をA国の特殊部隊が殺害したという報道がありました。
世界を震撼させたテロの首謀者とされ、B容疑者をかくまったという理由からある国で戦争が始まり、その後、何年も潜伏を続けてきたB容疑者のことです。殺害されたと聞いて、当初は、護衛兵と特殊部隊との激しい戦闘が発生し、その最中にいわゆる名誉の死を遂げたのかなぁと思っていました。B容疑者の逮捕が目的であったが、B容疑者が抵抗したため発砲したという情報があったからです。
B容疑者が死亡した事実が確認されると、某大統領による「正義は達成された。」演説があり、A国市民の歓喜の様子がテレビで放映されました。それを観ていて妙な違和感を感じたことが今回のお題です。
その後のニュースで、B容疑者は、武器を持っていなかったとか、無防備の女性が容疑者をかばって犠牲になったとか、初めから容疑者の殺害が目的だったとの情報が流れました。
仮に、容疑者の逮捕が目的ではなく、殺害が目的で作戦が行われていたとしたら、正義は達成されたと言えるのでしょうか。
B容疑者が同時多発テロの首謀者であり多くの犠牲者を出したことが紛れのない事実だとしたら、被害者や遺族の方々にしてみれば、B容疑者を憎んでも憎みきれないでしょう。できることなら一刻も早くB容疑者に制裁を加えたい。そう思われるのは当然のことだと思います。
しかし、民主主義国家が、しかも世界のリーダーを標榜する大国が、テロを行ったに違いないとの理由で裁判にもかけずに実力行使に及ぶというのは全く別の話だと思います。
日本国憲法には、「法定手続の保証」という定めがあり、適正手続と呼ばれています(憲法31条)。これは、刑事罰を受けさせるには法律で定められた適正な手続きを経なくてはならないというものです。どんな犯罪者でも裁判無しには刑事罰を与えてはいけないというものです。
これは、人類の叡智がたどり着いた考えです。国家が成熟していればしているほど、適正手続が重視されるといっても過言ではないと思います。
適正手続は、人権を保障する規定であって、一見、犯罪者を保護しているだけのようにも思えますが、別の面があると思います。
それは、刑罰を与えることを正当化するということです。あなたは、犯罪を犯しました。証拠はこれです。これに対してあなたの言い分はこうです。その言い分を聞いた上で、あなたには法律に基づいてこれだけの刑を与えます。こういった手続きを経たからこそ、国家は胸を張って刑事罰を与えることができるのです。弁護士(弁護人)は、被告人の無罪主張をしていても、被告人の言い分を十分に主張させる適正手続の手助けをしているという点で、処罰の正当化の一翼を担っているとも言えるのです。
被告人の言い分も聞かず一方的にあなたは犯罪を犯したので刑罰を与える。しかも、犯罪したことがはっきりしてるのだから(現行犯などの場合は特に)今すぐ刑罰を与えますよというのでは、刑罰を与えることの正当化が不十分なままです。
被害を受けたから正義のため即座に実力行使にでるというのでは、B容疑者が言う正義と何ら変わらないのではないでしょうか。
今回の事件をみると、B容疑者は裁判なく刑罰を与えられたのと同じ結果となっています。法定手続を経ないで死刑が執行された形です。にもかかわらず、この結果に対して、某大統領は、「正義は達成された。」と表明しているのです。
前述の適正手続きは、デュー・プロセス・オブ・ロー(due process of law)と言います。この考えを重視しているのは、他ならぬA国です。我が国の適正手続の規定もA国の影響を強く受けたとされています。
とすると、某大統領は、「正義は達成された。」ではなく。「適正手続を経ることなく(裁判を受けさせることができず)残念だ。」とコメントすべきだったのでは、ないでしょうか。A国市民も、「正義が完遂できず、残念だ。」と落胆していても不思議ではなかったのではないでしょうか。
この観点からすると、A国の言う正義もB容疑者の言う正義も似たようなものなのかもしれませんね。