ガッキーが「子どもの代理人」!?

蓮見 和章

 広島事務所の蓮見です。

 さて、先日相川弁護士が勝手に運命を感じたガッキーが主演の「全開ガール!」の第7回の放送がありました。今回は、錦戸亮演じる草太とその子どものもとに草太の元妻が現れ、草太と復縁し子どもと三人で暮らさないかと言い出すという物語でした。草太は復縁する気はなかったので、そのことを伝えた上で、子どもにどちらと生活していきたいか聞きました。結論として、子どもは草太と生活することを選んだのですが、草太はその際わざと子どもが自分を選ぶような質問をしたことを責め、ガッキーがそれを慰めるシーンで二人の絆が深まったという話でした。

 弁護士の業務の中で、子を持つ夫婦の離婚や別居に際して必ずと言っていいほど問題となるのが、子どもをどちらが養育していくかということです。裁判所では、自分の方がいかに子どもの養育に適しているかという主張を双方がすることになり、その際親から子ども自身の気持ちが代弁されることがあります。ただ、この場合どうしても自分(親)のバイアスがかかった主張になりがちなのも事実です。

 例えば、妻が「子どもは自分の方に懐いている。」「子どもが夫の悪口を(あるいはもう夫には会いたくないと)言った」などと、子どもの意思は自分よりであるという主張をすれば、夫は「それは、妻が自分の悪口を言っているからに違いない。」「妻の手前、妻の悪口は言えないはずだ。」といった主張がなされることがあります。

 もちろんこのような主張は間違っているというつもりも、そのような主張はするべきではないというつもりもありません。子の親として当然の主張でしょう。ただ、やはりそれはあくまで両親が子どもから感じとった「意見」であり、それが子どもの本心を表しているかはわかりません。双方に弁護士がついていたとしても、あくまで親の代理人である以上100%子どもの立場に立って主張することは難しいでしょうし、相手方代理人から子どもの話を聞いたとしてもそれは脚色されている部分もあるのではとの疑問は消えないと思います。

 このような事案に直面すると、夫婦間の紛争では、子どものことを一番に考える立場の人間がいないと、子どもの真意を知り真に子どもの福祉にかなう事案の解決を図ることはできないんじゃないかと感じるときがあります。子どもにも代理人がいればなと・・・。

 ちょうど今週、東京で日弁連の子どもの権利を考える勉強会に行ってきました。その一つのテーマに、「子どもの代理人」がありましたので今日はこのことについて話をしたいと思います。

 親が離婚などして別々に暮らすことになった場合一番影響を受ける者、つまり夫婦間の紛争において一番の利害関係人は子どもです。しかし、これまでは子どもが主体となって親の紛争に参加することは認めらませんでした。もちろん、現在でも家庭裁判所の調査官が子どもの養育状況に関して調査することになっており、その際子どもの意見等を聞くことはあります。ただ、調査官は裁判所から雇われ、あくまで中立公正に具体的紛争の解決を目的とする仕事をするのであって、将来に向かってあるべき家庭環境を形成していくことを目指しているわけではありません。また調査官は審判に供する基礎資料を収集するための調査を行うのがメインの仕事であり、極論すれば子どもは調査の客体に過ぎず、子どもの立場になって子どもと接する人物ではありませんでした。このような現状から、夫婦間の紛争に関して、子どもの意見をしっかり聞く機会を保障すべきという声が弁護士を中心にあがっていました。

 そのような中、現行の家事審判法に代わるものとして今年5月に成立した家事事件手続法の中で、子ども自身が家事審判や調停に参加できること、その際に子どもの意見をしっかり表明する機会が与えられること、そして弁護士をその子どもの手続上の代理人として選任することが明文化されました。(ただ、この法律の施行は2013年になります。)「子どもの代理人」は、子どもに必要な情報を提供し、子どもの意見を裁判所に伝えるだけでなく、子どもの立場から子の利益のために最善を尽くして行動することが求められます。

 と,言葉にするのは簡単ですが、実際は代理人としての活動はとても難しいものになると思います。子どもは年齢や個人差にもよりますが大人に比べ表現力に乏しいところもありますし、心を開くのに時間がかかる場合もあります。勉強会でも、子どもは自分の前に現れた大人が真に自分の味方なのか、無意識的にそのことに探ろうとする傾向が強いと言われていました。実際に親同士が争いをしている場合は、一番身近な大人(親)に対しての不信感がある場合もあり、代理人に心を開くのはより難しいところがあると思います。 

 その意味では、「子どもの代理人」になろうとする弁護士には、相当のコミュニケーション能力が必要になると思います。今後弁護士会でも、制度の導入前に研修会を開くことを計画しているようですが、各弁護士の日常の努力が一番必要になります。私は、子どもの事件を扱うに限らず、実は弁護士にとって最も必要な能力の一つはこのコミュニケーション能力ではないかと考えています。法律事務所に来られる方は、最初は「弁護士には理路整然と話さないと。」「弁護士さんにくだらない話と思われたらどうしよう。」という不安を抱えてくるものだと思います。その相談者とのやり取りで、不安を取り除き、悩んでいることを話してもらうようにするのは弁護士の仕事です。そのような大人の相談者の心を開けないようでは、子どもの心も当然開けないでしょう。それでは「子どもの代理人制度」はあまり意味のない制度になってしまいます。

 冒頭のドラマの話に戻りますが、ガッキーは、草太に対して最後にこう言いました。
 「選択の結果が正しいかどうかは誰にもわからない。大事なことはビー太郎(子ども)を今後幸せにすること。」

 係争中の両親はどうしても「こちらの提案する選択肢が正しいはず。」という主張をすることが多いでしょう。この言葉は
そのような両親に対する「子どもの代理人」の立ち位置(考え方)をうまく表している言葉だと思います。

 ラブコメディですのでなかなか本来の弁護士業務とはかけ離れている部分も多いこのドラマですが、子どもは好きではないといいながら、なぜか子どもの本音を聞き出すことの多いガッキーをみていると、「子ども代理人」に相応しいのは案外ガッキーのような弁護士なのかもしれないなと思ってしまいました。

前のページへ戻る