「菅」習は『「菅」習法』になれるのか。

蓮見 和章

 広島事務所の蓮見です。

 さて、本日のニュースによると、菅直人首相は東日本大震災復興基本法で新設された復興担当相に、松本龍防災担当相を兼務で充てることとし、同じく新設された原発事故収束・再発防止担当相に細野豪志首相補佐官を起用したそうです。その一方で蓮舫行政刷新担当相は辞任し閣僚から外れるなど、菅内閣の顔ぶれが相当程度変わったと言えます。

 このような内閣の顔ぶれが相当数変わる時、通常「内閣改造」という表現を使いますが、今回各報道機関は「内閣改造」という言葉を使わずに「閣僚人事」という表現を用いていますし、現に枝野官房長官も「今回は内閣改造ではない。」と明言しています。今回の人事は、なぜ「内閣改造」ではないのでしょうか。今回は「内閣改造」についてお話しします。

 まず、「内閣改造」という言葉は法律で定義づけされているわけではありません。慣習から作られた言葉です。日本国憲法施行以後において、いわゆる「内閣改造」が行われる場合、内閣総理大臣は憲法第68条に定める国務大臣任免権を背景にすべての国務大臣の辞表を一度とりまとめ、その後新たな大臣を任命し、閣僚として留任した者には後でいったん預かっていた辞表を返還するという形が従来取られてきました。また、「内閣改造」の場合は、首相官邸において内閣官房長官就任予定者(もしくは留任した官房長官)が閣僚名簿を発表し、その後全閣僚が就任会見を行い抱負などを述べた後、初閣議が行われ、首相官邸の階段で首相と全閣僚が揃って記念撮影をするということも慣習として行われてきました。「内閣改造」のニュースでよく見るあの場面です。

 このように従来の慣習により、「内閣改造」という言葉は自然と定義づけがなされてきました。条文等に明記されているわけではありませんが、これまでの慣習から「内閣改造」と言えるための要件として上記のような手続きを踏むことが、いわば常識となっていて、今回のように閣僚の相当数を一度に替えることになっても、上記のような手続きが行われない以上、それは「内閣改造」とは言えないというのが皆の共通理解になっているのです。

 このような慣習は私達の身近な生活の中にも浸透しているものですが、実は法律の世界でも、慣習を重要視することがあります。法の適用に関する通則法第3条では、法令に規定のない事項に関する慣習について法律としての効力を認める旨記載されていますし、民法92条でも当事者が慣習によって法律行為を行う意思がある場合は、法律に定められた規定ではなく慣習によって解釈する場合もある旨記載されています。このように、慣習に法的効力が認められた場合、これを法律の世界では「慣習法」と呼んでいます。

 ところで今回の「内閣改造」ではない閣僚人事では、蓮舫氏が担当していた行政刷新担当相は枝野幸男官房長官が、消費者・食品安全担当相は細野氏が、環境相は江田五月法相が、それぞれ兼務することになったようです。これだけ兼務の大臣が多いのには法律上の理由があります。実は、現在の大臣は、内閣法で定める上限いっぱいの17人おり、これ以上人数を増やすことが出来ないのですが、菅政権は国民の支持を得るべく復興に関係する大臣のポストを2つ新設してしまったため、相当数の大臣が役職を兼務せざるを得なくなってしまったのです。

 早期退陣への論調が強まる中、退陣を明言したにもかかわらずその時期を明言せず災害復興のための3法案成立に力を入れる菅政権。退陣を明言した内閣が新たな施策に力を入れること自体極めて希なケースですが、この異常事態にとられた菅政権の一連の行動は、一般的に批判も多いようですね。今回の人事に関しても、「兼務大臣を多くしてポストを新設することで果たしてより効率よく内閣が機能していくのか」「(今後の)法案成立の鍵を握る自民党から浜田和幸参院議員を総務政務官に引き抜いたことで、会期内の法案成立が困難になるのでは」との疑問の声も上がっています。

 内閣不信任案否決から今回の人事まで、与党内からも批判のでている一連の『「菅」習』ですが、無意味な内閣延命のための悪しき「菅」習で終わってしまうのでしょうか。それとも、慣習法のように皆から認められるものとなるのでしょうか。

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