「引き際」の決断

蓮見 和章

こんにちは広島事務所の蓮見です。

プロ野球も全日程を終え、あとはCSを残すのみとなりました。CS制度が導入されてから消化試合が少なくなったこともあり終盤まで息の抜けない試合が多くなりましたが、そんな中でも毎年恒例の有名選手の引退試合が多く行われ、今年もこれまでプロ野球を盛り上げた名選手がユニホームを脱ぐことになりましたね。

 チームがまだ戦力として必要としているにも関わらず自分の理想するプレーができないと感じて引退する選手もいれば、チームから戦力外を言い渡されたことで自分の限界を悟り引退する選手もいますし、それでも他に自分を受け入れてくれるチームがあるまでは現役にこだわりたいという選手もいたりします。プロ野球選手は野球をすることが仕事ですから、引退を決断した人は野球選手としての能力にある程度の限界を感じていたのだとは思いますが、その限界も周囲の評価と自己評価は異なるものですし、なかなか難しい側面もありますよね。

 ちなみに、今年パリーグを制した日本ハムの栗山監督は、入団7年目、30歳を前にしてユニホームを脱いでいます。もともと持病もちであったこともありますが、前年ゴールデングラブ賞を獲得した選手の引退だけに当時は大きく報道され、私も少年ながらにショックを受けた記憶があります。

 その後、野球評論家や大学教授として活躍した後の球界復帰。彼が、従来の監督像とはまた違った良さを引き出しているのも、早期に選手引退を決断するような彼の生き様が垣間見えるからではないかと思います。

 アスリートの引退は引退後の自分の人生をも考えて決断しなければなりませんから選手それぞれに苦渋の決断があると思います。「もっとやれる」「活躍できる」あるいは「もう引退すべき」「力はまだあるけどチームの将来のため若手に譲るべき」とファンとしてはいろいろ言いたくなる気持ちもあるかと思います。ただ、そもそも自ら引退を選択できる(そこまで選手を続けられる)選手はごく一部なわけで、そんな選手の引退時期の選択には各選手の人生観やキャラクターがとてもわかりやすく反映されていて、ファンも心のどこかで選手固有の「引き際の美学」として受け入れているように感じます。

 同じようなことが弁護士業務をしていても感じることがあります。弁護士が依頼者から事件の依頼を受けることになっても、終着点は事件によって様々です。負け筋の事件でも主張すべきことはしっかり訴えたいと裁判を進めることもあれば、勝訴が確実な案件でも相手方の主張を一部汲んで途中で和解をしたりすることがあります。客観的には「時間と金がもったいない」とか「相手に優しすぎる」と思われる場面かもしれませんが、裁判を続けるにしても終わらせるにしても、当事者が自らの人生観をふまえて悩んだ結果決した判断であれば、正しい判断だと思います。

依頼者の方がそのような決断される際、弁護士としては依頼者の方が納得の行く結論を出すための情報を的確に提供するだけでなく、時として弁護士自身の人生観を参考に求められることもあります。その時は責任の重さを感じるとともに、弁護士はやはり人間でなければ出来ない職業であることを実感します。事件の結論もさることながら、事件が終わった際に依頼者が自分の決断に納得された表情を浮かべられる時がこの仕事をしていて一番やりがいを感じる時かもしれません。

そういえば、弁護士の仕事に定年等はないため、つつがなく業務を全う出来た場合は引退は弁護士自らの意思で決めることになります。幸いにして自分にも弁護士業務の引退を選択出来るときが来た場合、どのような「引き際」の選択をするのか。今は想像ができませんが、自分なりに納得の行く決断ができるように、人としていろいろな感性、考え方に触れていきたいと、各選手の引退セレモニーのニュースを見て感じました。

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