「インティマシー・コーディネーター」と「ハラスメント相談窓口」と「弁護士」

蓮見 和章

 先日来より、女優の奈緒さん主演の映画において、奈緒さんが「インティマシー・コーディネーター」を間に入れて制作を進めようと要望したものの、これを監督が断ったということがネットニュースで取り上げられているのをご存じでしょうか。 

 「インティマシー・コーディネーター」とは、ドラマや映画などで体の露出や性描写があるシーンに立ち会い、制作者と出演者の間に入って特に心理面でサポートをするものです。2022年の流行語大賞にノミネートされている言葉でもあり、俳優の高嶋政伸さんが「インティマシー・コーディネーター」を付けることをドラマの出演条件にもされて話題になりましたが、日本では有資格者はまだ数人しかいないということもあり、今回初めてこの役割を詳しく知ったという方も結構多いかもしれません。

 今回、監督は、「奈緒さんと自分との間に人を入れたくなかった」ことを理由に奈緒さんの要望を断ったと説明しているようですが、その弁明や謝罪の言葉自体にも批判が集まっているようです。

 私はまだこの映画を見ていませんし、映画の専門家でもありません。奈緒さんも、実際にはコーディネーターがいなくても現場では対等に話ができたと言われています。なので、この件に言及するものではなくあくまで一般論になりますが、日々代理人として活動している弁護士の立場としては、当事者の一方が間に人を入れたいと要望している際に、相手方が「直接話をしよう」とこれを拒み直接やり取りすることになった場合、その後のやり取りが「表面上ではなく当事者の心情面(納得感)も含めて、真に対等な会話ができている」のかと疑問になってしまう気持ちはどうしても存在します。

 「言いたいことがあるなら直接言えばいいじゃないか」
 「直接話し合うことで分かり合えることがある」
 「間に人が入ると誤解が生じる」

 一見正論に聴こえるようなこれらの言葉は、時として更なる人間関係のこじれ、見解の一方的な押し付け(弱者側の言葉の弾圧)に繋がる言葉に感じる時があります。これらの言葉を発する立場の人と、間に人を入れることを断念された人との間でも、これらの言葉の捉え方はまったく異なるのではないでしょうか。特にこれらの言葉を発する立場の人は、相手に対して「直接話ができないなんてけしからん」という批判的な気持ちをどこかに持っていないでしょうか。

 現在すべての企業に「ハラスメント相談窓口」の設置が義務化されています。少なくともハラスメントに関しては「直接言えばいいじゃないか」「直接話せばわかる」「誤解だ」という主張を法は正当化することはできないと考えているのだと思います。法的トラブルに関して弁護士に代理人を依頼する方でも、単に法律知識があるからというだけではなく、間に入って自分の意見を交渉してほしいという理由で依頼する方はかなり多いと思います。

 大事なことは、これら制度があるだけで満足するのではなく、これら制度がしっかり機能するようにすることです。制度がしっかり機能することで、制度を利用した方が満足し、より多くの人が利用を考えるようになり、制度を利用することが失礼ではなく当たり前でむしろ利用することが双方にとってもメリットがあると考えられる社会になるのだと思います。

 「代理人弁護士」を日々の業務としている私としては、依頼者の真の心の声を適切に汲み取り、適切な言葉にして責任をもって相手側に伝えていこう、もっと弁護士に気軽に相談しようと思ってもらえるような活動をしていこうと改めて思った今回のニュースでした。  いちドラマ好き、映画好きとしては、インティマシー・コーディネーターが現場に普及されるだけでなく、利用することでよりよい映画、ドラマが作れたという感想が制作側から当たり前のように発せられる社会になってほしいと思います。原作者、出演者、監督、スタッフ、制作にかかわる全員が、心の中のつっかえがなく自由に表現できた作品こそ、最高の芸術作品であるはずです。

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